2011.03.21 Monday
そして
昨日(20日)、仙台バードランドに皆から受け取った物資を届けに行ってきた。バードランドでは本当に全然物資の届いてない避難所や被災者に必要な物資を届けるために、物資を募っていた。燃料も自分達で確保してそれぞれ各地に届けるという。自分らも被災した人達なのに。宮城の隣の県、山形という環境に住む俺らが今現在何が出来るだろうと考えていて、色んな情報を得るにつれ、時間はない行動するべきという思いがどんどん強くなった。物資が届かず餓死や衰弱死などの情報も。札幌からはSLANGのKOさんが皆に救援物資を募集して自ら被災地に向かうという情報、すさまじい行動力。そして東京ではballoonsのベネフィットライブ、世界各国の募金、等。皆が出来ることをやっている。山形に住む俺らが出来ることは、一番近い隣の県に住む俺らが行動しなくて誰がやれるのか、と。山形の人たちは食糧難、燃料難で車社会の山形ではまともに通勤もままならない。生活は大変だ。だけど、皆なにかしら自分達ができることをやりたいと思っている。それは間違いない。俺らも丸1日の停電を体験し、不安な気持ちは少しだけわかる。20日は仕事も休みをもらった、後は物資の調達、早速山形のバンド界隈と嫁の友達に連絡して協力してくれる人を募った。ライブでも俺のMCベタは顕著だが、情報の伝達、拡散も苦手なんで、得意なてっちゃんに任せた。この時点でてっちゃん道連れ決定。すぐに集まった、この燃料難に長井や南陽からわざわざ持ってきてくれる奴、チャリで持ってくるやつ、大量に持ってくるやつ、皆サスガだ。サイコウだ。俺の車はステップワゴンだがすぐに荷物で一杯になった。皆に「気をつけて!」と言われるうちに少しづつ不安が出てきた。もし、向かってる最中にまたでかい地震が来たらどうしよう、とか、うちの子はまだ小さいし、特殊な病気もあるし、など等。色々考えてしまった。しかし、みんなの思いをたくさん積んでる。やるしかない。少しの緊張を持って出発、途中アスファルトがひび割れてたり、歩道がくぼんでたり、自販機が傾いたりはしてたけど、結構すんなりいけた。ガソリンも半分以上は入っていたので通常なら往復できる。無事バーランに着き、物資を届ける。内村さんと握手、少し涙が滲む。オオタケは相変わらずだったが、人一倍頑張ってただろうなと思う。バーランではまだ水も出ないという。絶対に疲れてるし、大変なはずなのに、10人くらいで、物資の仕分けをすぐに開始していた。スゴイ。うまく伝えられないがパンク・ハードコアに憧れた「強さ」をやはりここでも見た。本当そうだ。バーランのあの雰囲気はそうだ、確かな「強さ」、それがあった。そして帰路。やはり若干の不安は消せないがてっちゃんとバカ話をしながら紛らわし、順当に帰れた。が、高速道路で間もなく降り口というとこで緊急地震速報、ハンドルを握る手に汗。しかし、揺れも感じることなく、高速を降り、無事に帰宅できた。少しでも被災者の人の役にたってくれることを願う。思うことは出来ることをやること、決して無理はしないこと、他人に強要はしないこと、自分らが出来ることをやるだけで人が助かるかもしれないということ。今回の大地震と大津波でお亡くなりになられた大勢の方々に、お悔やみ申し上げると共に、被災された方々は少しでも早く普通の生活が取り戻せるように祈っております。そして、子供達に明るい未来が待ってますように。